損害保険から世界と日本がみえる~宇宙開発、ウクライナ戦
金融の話題のなかで損害保険会社が語られることはそれほど多くありません。金融業界というとどうしても銀行や証券会社が目立ってしまいます。
しかし損害保険がなかったら、企業はリスクを取った投資や新規事業にチャレンジできないでしょう。そういった意味では、損害保険はイノベーションの土台となる金融サービスといえます。
損害保険は人や企業が事故や災害によって損害を受けたときに補償する金融サービスです。
そのため世の中を動かす大きな出来事が起きると、損害保険業界もあわただしく動き始めます。
宇宙開発、ウクライナ戦争、自動運転車の3つの大きな出来事において、損害保険がどのように機能しているのか紹介します。損害保険業界をのぞくと、世界と日本がみえてきます。
日本の損害保険業界
損害保険の活躍ぶりをみるまえに、日本の損害保険業界の状況を確認しておきます。
日本の損害保険の市場規模は、収入保険料ベースで8.7兆円に達します(※1)。2000年代に再編が進み現在は次の3つのグループがトップ3を形成しています。
- 東京海上ホールディングス
- MS&ADインシュアランスグループホールディングス
- SOMPOホールディングス
この3グループのなかに、世間で名前が知られている損害保険企業が含まれています。
東京海上ホールディングスには、東京海上日動火災保険やイーデザイン損害保険などが属しています。
MS&ADインシュアランスグループホールディングスには、三井住友海上火災保険やあいおいニッセイ同和損害保険などが属しています。
SOMPOホールディングスには、損害保険ジャパン、セゾン自動車火災保険などが属しています。
※1:https://www.nikkei.com/telecom/industry_s/0692
ミッション:月の探査を補償せよ
損害保険が活躍するときは大抵は事故や災害が起きているので、この金融サービスにネガティブな印象を持つことがあると思います。例えば「地震や洪水や火事のときの損害保険」といったようにです。
しかし損害保険には大きな夢を支える機能もあります。
三井住友海上火災保険と東京海上日動火災保険は2022年に、宇宙事業の損害リスクをカバーする損害保険を開発すると発表しました(※2)。
失敗を乗り越えて突き進んでいかなければならない宇宙ビジネスにとって、心強いサポートになるはずです。
※2:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB1499B0U2A410C2000000/
着陸と探査活動のリスクを負う
三井住友海上と東京海上が想定している宇宙事業は、月面探査です。
月面探査をするには、探査車を着陸機に載せ、それをロケットで飛ばす必要があります。宇宙空間で着陸機をロケットから切り離すと、着陸機は月の軌道にのったあと月面に着陸します。その後、着陸機のなかから探査車を出して調査します。
三井住友海上が開発している損害保険は、着陸機が月面に着陸できなかったときの損害を補償します。探査車を使った月面探査の費用は約100億円で、10億円の保険料を支払えば万が一のときに最大100億円の保険金を支払う内容にします。
この宇宙事業を手掛けているのは東京都中央区に本社があるベンチャー企業のアイスペースです。
東京海上は探査車の活動リスクをカバーする損害保険をつくります。探査車が稼働しなかった場合、加入者(宇宙事業者)に保険金を支払います。
この事業を手掛けるのは東京都大田区に本社があるダイモンです。
公共事業からビジネスへの橋渡しを支える
宇宙事業は今、国の予算を使った公共事業から民間企業が手がけるビジネスに移行しようとしています。
月面探査は、月と地球の間の物資の輸送や月の資源開発といった事業の足掛かりになります。ダムを建設する前に地質を調査したり、高速道路をつくる前に環境アセスメントを行ったりするようなものです。
トヨタは友人の月面探査車を開発していますし、清水建設は月面住宅を研究しています。
損害保険会社も月開発ビジネスに商機を見出しているのでしょう。
2大グループがタッグを組んだことに意義がある
このニュースで注目したいのは、三井住友海上と東京海上が名乗り出ていることです。
三井住友海上はMS&ADグループの一員で、東京海上は東京海上HDグループの一員であり、両者はライバル関係にあります。
しかし宇宙ビジネスは「株式会社ニッポン」で展開していかないと世界で勝てません。それで2大グループのタッグが成立するわけです。
ウクライナ周辺の貨物船の補償を打ち切る
保険は顧客の損を補償するビジネスですが、限界があります。つまり損害保険は「絶対に損をする」状況に対しては補償しません。
2022年2月に勃発したウクライナ戦争は「絶対に損をする」状況といえるようです。
東京海上日動火災保険、損害保険ジャパン、三井住友海上火災保険の損保3社は、ウクライナ近海を航行する貨物船の損害を補償する事業から撤退することを明らかにしました(※3)。
※3:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB250VA0V20C22A4000000/
事前に報告させてウクライナ近海を航行するなら補償しない
損保3社は具体的には、黒海やアゾフ海のウクライナ領とロシア領を行き来する貨物船にかける損害保険を停止します。
また損保3社は船会社に対して、それらの海域を航行するときに事前に知らせることを義務づけました。
この損害保険の正式名称は外航貨物海上保険(以下、貨物保険)といい、その仕組みはこのようになっています。
貨物保険に加入する船会社は毎月、前月の運航実績を事後に損害保険会社に報告します。損害保険会社はその報告から前月分の保険料を算出します。
しかし2022年6月からは、損害保険会社は船会社に、ウクライナ近海を通る船について事前に報告させ、その段階で損害保険で補償するかどうか決めます。
補償上限が少額の場合は補償する予定ですが、原則補償しないことになります。
なぜ補償しないのか:再保険ができなくなったから
損保3社がウクライナ近海を航行する船の貨物保険を引き受けないことにしたのは、もちろん損失リスクが大きすぎるからなのですが、直接的な原因は再保険してもらえなくなったからのようです。
再保険とは、保険会社がさらに大きな保険会社に保険をかけるビジネスです。
保険会社は、保険事故が起きると加入者に保険金を支払うわけですが、これは「保険を支払うリスク」と考えることができます。保険会社はリスクをビジネスにしているのに、これでは自らリスクを負ってしまうことになります。
そのため、保険会社のリスクをカバーする保険があり、それが再保険です。
例えば、保険会社Aが、保険会社Bの再保険に加入したとします。すると、保険会社Aが加入者に保険金を支払ったら、保険会社Bが保険会社Aに保険金を支払います。
ところがウクライナ戦争によって保険リスクが高くなりすぎたため、ウクライナ近海の保険事故の再保険の引き受け手がいなくなったのです。
戦争がビジネスを縮小させるのは当然のこと
戦争がビジネスを縮小させる現象は直感的に理解できます。戦争が起きている場所ではもののやり取りもお金のやり取りもしづらいですし、ビジネス・ツールが破壊される恐れもあります。
さらに戦争を損害保険の観点から眺めると、保険リスクの高まりもビジネスを阻害することがわかります。
リスクのないビジネスはないといえますが、高すぎるリスクはビジネスをストップさせます。なぜなら、利益を得る確率より損する確率のほうがはるかに高くなるからです。そのようなビジネスに投資する人はいないでしょう。
そしてさすがの貨物保険でも、利益を得る確率より損する確率のほうがはるかに高くなった船をサポートすることはできません。
これでは「そこでビジネスをしよう」と思う企業やビジネスパーソンは現れないでしょう。
ウクライナ戦争ではすでに、世界の損害保険会社が支払うことになる保険金の総額は4.5兆円にのぼるという試算もあります(※4)。
「だからビジネスには平和が欠かせない」といえるわけです。
※4:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB0249Y0S2A400C2000000/
自動運転車の事故から自動車メーカーを守れ
損害保険ジャパンは、自動運転車に関する損害保険を開発しました(※5)。自動運転車といえども自動車なので、これも自動車保険の一種なのですが、これまでの自動車保険とはかなり異なる内容になっています。
自動車メーカーを守る保険
普通の自動車保険は、自動車の運転車を守ります。ある人が自動車事故を起こしたとき、その損害を賠償するのは運転者です。運転者が自動車保険に加入しておけば、事故を起こしたときに保険金がおりて、賠償金を支払うことができます。
しかし損害保険ジャパンが開発した自動運転車向け損害保険は、自動車メーカーを守ります。この保険は運転者を守るわけではありません。
自動車メーカーがこの損害保険をかけておくと、自動運転車が事故を起こして自動車メーカーが損害を賠償しなければならなくなったときに保険金がおります。
自動運転車はコンピュータが運転することになるので、事故を起こしたらコンピュータの責任になります。もちろんコンピュータではその責任を負えないので、自動車メーカーが負うことになり、それ用の損害保険が必要になりました。
もちろん自動運転車を購入した人も、自分を守るための自動車保険には加入したほうがよいでしょう。
※4:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB315YG0R30C22A3000000/
ソフト会社も守る
さらに厳密に説明すると、自動運転車向け損害保険はソフト会社も守ります。
自動運転車がコンピュータによって動くということは、ソフトが自動車を動かしていることになります。そしてそのソフトは自動車メーカーがつくるのではなく、ソフト会社がつくります。自動車メーカーは、ソフト会社から自動運転ソフトを購入して自動車に搭載します。
そのため自動運転車が事故を起こして損害が発生した場合その原因としては次の3つのパターンが考えられます。
1)ソフトの設計ミス+自動車の動作ミス
2)ソフトの設計ミス+自動車正常
3)ソフト正常+自動車の動作ミス
ソフト会社と自動車メーカーの過失割合を、損害保険会社が判定することになります。
損害保険がないと危なくて自動運転車に乗れない?
この損害保険は、自動運転車の普及を支えることになるでしょう。
自動運転車は、消費者が購入したあとも車に搭載されているソフトをバージョンアップさせる必要が出てきます。
そのため事故の原因究明は難航するはずです。
事故の原因がわかるまで損害が補償されないのでは、自動運転車は社会的に危険な乗り物になってしまいます。この危険性は、自動運転車が事故を起こす確率を減らしたとしても残ってしまいます。
そのため事故の原因が特定される前に損害が補償される仕組みが必要になるわけで、それには自動運転車用の損害保険が必要になります。
今でも、自動車保険に加入しないと恐くて自動車を運転できないと思います。自動運転車が普及しても同じ状態が続くわけで、損害保険の果たす役割の大きさがわかります。
まとめ~ビジネスのインフラであり世界の鏡
損害保険がないと、誰も大きな事業を手掛けることはできません。そういった意味では損害保険はビジネスのインフラと考えることができます。
さらにウクライナ戦争は、損害保険会社が撤退を決めるほど深刻である、とみなすことができます。そういった意味では、損害保険業界は世界を映す鏡ともいえます。
ビジネスパーソンは、損害保険業界の動向を定期的にウォッチしたほうがよいかもしれません。