物価停滞で困っていたのに、なぜ値上げに困惑するのか【インフレを考える】

「生活関連の商品が値上がりして困っている」と感じている人は多いはず。2022年春以降、さまざまな商品が値上がりして家計を圧迫しています。小学校の給食費の値上げを決めた自治体もあります(*1)。

しかし少し前まで、日本経済も日本銀行も物価がなかなか上がらなくて困っていました。そうであれば、昨今の商品の値上がりは歓迎できるはずです。

なのにそうはなっていない。

「値上がり=物価高=インフレ」はよいことなのか悪いことなのか。

経済界や市場では難しい議論が展開されていますが、しかしどうも、経済の調子のよし悪しでインフレの評価が変わるようです。

経済がよいときのインフレはよいインフレで、経済が悪化するときのインフレが悪いインフレと判断されているようなのです。

*1:https://www.asahi.com/articles/ASQ5J67CMQ5JPTIL01T.html

「インフレはよいこと」から始まる

インフレとは物価が上がる現象のことで、これ自体は1種類しかありません。しかしインフレが起きたあとの影響から、よいインフレと悪いインフレにわかれます。1つの現象が、あるときはよいとされ、あるときは悪いといわれるわけです。

状況に応じて善悪の評価が変わる経済現象は珍しく、例えば株価の変動という経済現象は上昇が善で、景気という経済現象は低迷が悪とされます。

それならばインフレも、元々は善か悪かのどちらかだったはず。そしてどうも、インフレは元々は善だったようです。

なぜインフレは元々はよいことだったといえるのか

物の価格が値上がりするとそれを買えない人が増えるので悪いことのはずなのに、なぜインフレは「元々はよいことだった」といえるのでしょうか。

それはインフレが、経済が健全であることの証(あかし)だからです(*2)。

健全な経済とは、人々がたくさん物を買い、企業がたくさん物をつくって売る状態のことです。多くの人が価格が高くても物を買うので、儲けたい企業は販売価格を上げます。それでインフレが起きます。

また、儲けた企業は手にしたお金で新しい設備を買ってよりよいものをつくります。それはより価値が高い物になるので、高い価格で売ることができてインフレはさらに進みます。

そして儲けた企業は従業員の給料を増やすので、従業員は購買力がアップしてさらに物を買います。しかも物の価格が高くても給料が増えているので家計は苦しくなりません。

このような現象が起きるのであれば「インフレ万歳」となります。

*2:https://diamond.jp/articles/-/153750

インフレが悪になるのは経済に異変が起きるとき

人の体の免疫は、体内に侵入するウイルスや細菌を退治するよい機能です。しかし免疫の機能に異変が起きると、免疫は自分の体を攻撃します。花粉は人の体にとって無害なのに、異常をきたした免疫機能がそれを過剰に排除しようとしてアレルギー反応となって人を苦しめます。

悪いインフレは、異常をきたした免疫のようなものです。インフレは元々は善だったのに、経済に異変が起きたことで悪に転じてしまうのです。

産油国で紛争が起きるなどして石油が採れなくなると石油価格が上がります。石油は物をつくるときの原料や燃料になるので、石油価格が上昇すれば物の価格が上がります。

これにより、物の価値が高まっていないのに物の価格が上がるという異常現象が起きます。

企業は、原料高や燃料高で物の販売価格を値上げしただけなので、儲かりません。そのため企業は従業員の給料を増やすことができません。

したがって生活者は、給料が増えていないのに高い物を買わなければならず生活は苦しくなります。しかもその物は、値段が上がっただけで価値は上がっていないので生活は豊かになりません(*3)。

「石油が採れない」「物の価値が高まっていないのに価格が上がる」この2つは経済の異変といえます。

そのため、インフレが生活者を襲うという、免疫異常のような悪い現象が起きるわけです。

経済を悪化させるインフレは、それで悪いインフレと呼ばれることになります。

*3:https://www.smbcnikko.co.jp/terms/japan/i/J0111.html

悲願が達成されたのに日銀は褒められない

インフレは元々はよい現象なので、日本銀行が、日本経済をデフレから脱却させてインフレを起こそうとしたのは正しい行動だったといえます。

日本銀行は2013年1月、消費者物価を前の年より2%上昇させるという目標を立てました(*4)。つまり2%のインフレを起こそうとしました。

この金融政策のポイントは「2%」という小さい数字です。

*4:https://www.boj.or.jp/mopo/outline/qqe.htm/#p01

ちょっぴりだけ上げたかった理由

「日本銀行の物価目標」と聞くと大々的な事業のように聞こえますが、日本銀行のインフレ目標はわずか前年比2%です。去年まで100円だったコンビニのおにぎりが102円になるだけです。

なぜ日本銀行はちょっぴりだけ上げたかったのでしょうか。その理由は次のとおりです。

■日本銀行が消費者物価を前の年より2%だけ上昇させたかった理由(*5)

  • 理由1:日本経済の競争力と成長力が強化されると(当然に)2%程度の物価上昇が起きるから
  • 理由2:家計や企業が物価水準の変動にわずらわされることなく、消費や投資の意思決定を行うことができる状況をつくるため

理由1はつまり、インフレはよいことなのだから2%ぐらいの物価上昇が起きるのは当たり前といっています。

ではなぜ5%アップでも10%アップでもなく2%アップなのかというと理由2になります。物価が上がりすぎると家計(生活者)は消費をためらうかもしれませんし、企業は投資を考え直すかもしれません。日本銀行は家計と企業をわずらわせたくなかったので目標値を2%にしたわけです。

*5:https://www.boj.or.jp/announcements/release_2013/k130122b.pdf

日銀は随分叱られた

日本銀行が2%目標を掲げたのが2013年1月で、それを達成できたのが2022年4月です(*6)。わずか2%上げるのに9年4カ月もかかったわけですが、この間、日本銀行は批判にさらされました。

日本経済新聞は2020年4月の記事で「当初『2年で達成』との掛け声で始まった2%目標はなお遠く、妥当性の検証や見直しを迫られそうだ」と批判したうえで、「物価が経済の体温計や金融政策の判断材料として有効に機能しなくなってきた面もある」とまでいっています(*7)。

つまり、日本銀行が物価の動きにこだわるのはおかしいと指摘しているわけです。

大和総研も2020年1月に「日本銀行は、2年でインフレ目標を達成するため、異次元とも称される大胆な金融政策を相次いで導入してきたが、現在に至るまで2%のインフレ目標は達成できておらず、その目途すら立っていない」とやはり厳しい口調です(*8)。

日本経済新聞も大和総研も約束を守れなかった日本銀行を叱っているわけなので、両者とも2%上昇戦略をよいことと考えていることがわかります。

*6:https://www.jiji.com/jc/article?k=2022052000833&g=eco
*7:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58556900X20C20A4EE8000/
*8:https://www.dir.co.jp/report/research/capital-mkt/securities/20200122_021275.pdf

2022年4月、悲願達成の瞬間に落胆

先ほど紹介したとおり、2022年4月になってようやく、全国消費者物価指数(生鮮食品を除く)が前年同月比2.1%上昇し、日本銀行の2%上昇目標が達成されました。

ところがこのニュースを伝えた時事通信は「消費に悪影響」と表現しました(*6)。その記事には次のように書かれています。

「資源価格の高騰や円安による輸入品の値上がりを受け、小売り段階での物価上昇が顕著となってきた。ガソリンや食料品など生活必需品の値上がりが目立ち、賃金の伸びが物価に追い付かなければ、消費が冷え込む恐れもある。」(*6)

日本銀行はよいインフレを起こそうとしたのに、起きたのは悪いインフレだったようです。

先ほど、「経済を悪化させるインフレが悪いインフレ」と説明しました。さらに「経済に異変が起きるとインフレは悪に転じる」とも解説しました。実際にそうなっているのかどうかみていきましょう。

今が悪いインフレといえる証拠:経済の悪化と経済の異変

日本経済は今、悪化しているといえるでしょう。

日経平均株価は2021年9月13日に30,500円をつけましたが、それから10カ月後の2022年7月4日には13%減の26,423円にまで下落しました。

日本の賃金はなかなか上がりません。欧米は過去30年間で平均年収が4、5割上昇したのに日本は横ばいです。

2020年のOECD加盟国の平均賃金(年収)が49,165ドル/年(1ドル135円なら6,637,275円)だったのに対し、日本の平均賃金(年収)は38,515ドル/年(同5,199,525円)で22位でした(*9)。

1位のアメリカは69,392ドル/年(同9,367,920円)、韓国は19位で41,960ドル/年(同5,664,600円)でした。

多くの先進国で賃金が上昇しているのに日本で上がらないのは、経済が悪いからといえるでしょう。

経済の異変も顕著に起きています。

  • 2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻(*10)
  • 原油価格(WTI)が2020年4月の17ドル/バレルから2022年4月の102ドル/バレルへと1年強で6倍に(*11)
  • 輸入小麦の政府売渡価格が2020年10月の49,210円/トンから2022年4月の72,530円/トンへと1.5倍に(*12)

原油価格の高騰は、1)脱炭素化で石油ビジネスへの投資が低迷したことと、2)コロナ禍の収束傾向で経済が持ち直して石油需要が急増したことと、3)ウクライナに侵攻したロシアに経済制裁を課したことでロシア産原油の供給が不安定になったことで起きています(*13)。したがって経済の異変がもたらしたといえます。

小麦の高騰は、1)アメリカとカナダでの不作、2)ウクライナ情勢による影響が原因で起きていて、これも経済の異変が原因といえます(*14)。

*9:https://www.oecd.org/tokyo/statistics/average-wages-japanese-version.htm
*10:https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000245786.html
*11:https://pps-net.org/statistics/crude-oil
*12:https://www.maff.go.jp/j/press/nousan/boeki/attach/pdf/220309-1.pdf
*13:https://www.smd-am.co.jp/market/ichikawa/2022/03/irepo220304/#:~:text=%E3%81%99%E3%81%AA%E3%82%8F%E3%81%A1%E3%80%81%E2%91%A0%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%9A%84%E3%81%AB,%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%AE3%E7%82%B9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
*14:https://smbiz.asahi.com/article/14436378#inner_link_004

日銀は楽観しているのか、それとも平静を装うっているだけなのか

大阪のある小学校の給食担当者は、2022年4月のジャガイモの入札価格をみて、あまりの高騰ぶりに「献立を根本から考え直さなければならない」と頭を抱えたそうです(*1)。

インフレは生活者を直撃しています。

そして先ほどみたとおり、日本の今のインフレは経済の悪化と経済の異変のなかで起きているので、これは悪いインフレと呼ぶことができそうです。

では日本銀行は現状をどのようにみているのかというと、意外に楽観的です。

日本銀行が2022年4月28日に公表した「経済・物価情勢の展望(2022年4月)」には次のように書かれてあります(*15)。

■経済・物価情勢の展望(2022年4月)から抜粋

●日本経済の先行きを展望すると、ウクライナ情勢等を受けた資源価格上昇による下押し圧力を受けるものの、新型コロナウイルス感染症や供給制約の影響が和らぐもとで、外需の増加や緩和的な金融環境、政府の経済対策の効果にも支えられて、回復していくとみられる。
●物価の先行きを展望すると、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、携帯電話通信料下落の影響が剥落する 2022 年度には、エネルギー価格の大幅な上昇の影響により、いったん2%程度まで上昇率を高めるが、その後は、エネルギー価格の押し上げ寄与の減衰に伴い、プラス幅を縮小していくと予想される。

日本銀行は、日本経済は回復し物価のプラス幅は縮小するとみています。

楽観視する理由は、コロナ禍の悪影響が和らぎ、外需が増加し、金融環境がよくなり、経済政策が効果を生み、エネルギー価格の悪影響が減るから、としています。

国民の肌感覚と日本銀行の先行き見通しにはギャップがあるようです。

*15:https://www.boj.or.jp/mopo/outlook/gor2204a.pdf

まとめ~痛みが問題

インフレは本来よい現象なのに、多くの消費者はインフレを嫌います。物の価格が値上がりすると支出が増えて家計が苦しくなるからです。

しかし値段が高いものを好む消費者もいます。それは高級品を買ってその価値を楽しむことができる消費者です。

家計を苦しめるのか、それとも物の価値を高めているのか。インフレのよし悪しの評価は、その2つの評価で決まるようです。